Archive for 12月, 2006


The Sword,The Soul of the Samurai 
 
新渡戸稲造先生は、いかに刀を重視していたかを語り、「象徴としての刀」の存在を説明している。
刀は武士の魂
十五歳にして成年に達し、行動の自由を許さるる時に至れば、いかなる業にも用うるに足る鋭利なる刀の所有を誇り
うる。この兇器の所有そのものが、彼に自尊ならびに責任の感情と態度を賦与する。「刀は伊達にささぬ」。彼が帯
におぶるものは心におぶるものーー忠義と名誉の象徴である。大小二本の刀ーー太刀小刀、もしくは刀脇差と呼ばる
ーーは決して彼の身辺を離れず、家にありては書斎客間のもっとも目につきやすき場所を飾り、夜
は容易に手の届く所に置かれて彼の枕頭を守る。刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ
、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。史学の祖(註‥ヘロドトス、~紀元前四二〇年以前)はスキユタイ人
が鉄のえん月刀に犠牲(いけにえ)を捧げたことを一の奇聞として録しているが、日本では多くの神社ならびに多く
の家庭において、刀をば礼拝の対象として蔵している。もっともありふれた短刀に対しても、適当の尊敬を払うを要
した。刀に対する侮辱は持ち主に対する侮辱と同視せられた。床に置ける刀を不注意に跨ぎし者は禍(わざわい)な
るかな!》
象徴としてでなく武器として使用する時の心構えについては、
武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて日く、断じてしからず! 武士道は刀の正当なる使用を大いに重
んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。場合を心得ずして刀を揮(ふる)った者は、卑怯者でありホラフキで
あった。重厚なる人は剣を用うべき正しき時を知り、しかしてかかる時はただ稀にのみ来る》
 
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寒くなってきました。バイクはしばらく、お休みですが、日本刀の鍛錬は今が旬です。