Archive for 10月, 2011


いま此処にサムライ吉村誠司氏に関する雑誌取材のレポートがあります、この方は私が知る限りの本当のサムライです彼は日本刀を振ることはありませんが人間が使うもっとも危険な道具であるチエーンソーを巧みに扱い、被災地で災害救援を即行動で実戦する平成の最高のサムライです。この平成の時代偽物のサムライが指導的立場で立派な口上を述べても、まったく実戦(実践)がともなっていない・・ところでのべても意味が薄い、サムライの真価は戦場で発揮されるのです、何故、、戦地に行かぬ!。ところでこの方、吉村氏は生まれた時代を間違えたようです、幕末に生まれていれば、、坂本龍馬のようになっていたであろう。ここにその取材を添付しておきます。

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2011大刀剣市2日目に行ってきました。前日より空いていて結構ゆっくりみることができましたが午後1時位から始まった東日本チャリティオークションには失敗いたしました。オークションだから高い処まで上げるのだろうと思い込みあまり70品あまりの品をあまりマトモに見なかったのです。実際は高い処まで上げることなく司会者は手頃値段で落としてしまっていました。えーあの鍔が3万円とは、、そんなことばかり、、あの刀が28万円!!!。まあ仕方がないですね。明日は最終日、、値切り戦争ですね、、。ところでよーく!!みるに元々結構な刀を売る刀屋さんが、、多分下取り刀でしょう50万位で拵え付きを売っていました。通常なら120万位はつけるでしょう、、。狙い目ですね。。明日は家族サービスで嵐山渓谷でバーベキューで、若鹿肉が手に入っています。

昨日は2011大刀剣市に10時過ぎに行ってきました。開店当初は見やすかったのですが11時位になると大混雑、今回はさほど高価な刀はでていませんでしたけど真玄堂さんで、信長・秀吉・家康ゆかりの刀(祐定)が展示してありまことに素晴らしい刀、、5000万でも売らないとのことでした。今日も行ってみてきます、、そうめったに見れない刀。ところで我が小脇差しの小鍔をゲットしてきました、既存の鍔が試斬で割れてしまったので着せ替え用です。じゃっかん新しいようですが似合うのが一番、見立ては櫃が若干の気にはなった(形が悪い)のですがちょっと削っただけで、すっぽり収まり、、重ねが薄いので古切羽と紙切羽を併用して収まりました。切羽は沢山あった方がいいですね!。さて今日は何をみつかられるかな、、小道具集めです。

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村正は武道に興味の無い方も知る刀工です、これは徳川家康が意味嫌ったことから(妖刀村正)始まり、この刀を所持する者は徳川への反乱を意図するものとしてされたことによるものです。この刀を所持していた刀剣コレクターでもある上手のサムライが切腹となってしまったことにより太平になった徳川時代サムライ達は所持していた場合さぞその対応に苦慮したことでしょう。もちろん村正は妖刀などではありませんが相当良く切れる良刀であったからです。わたしも鑑定会で村正初代の刀をみた事がありますが戦国末古刀らしいすがたと、手持ちの良さが特に印象に残っています。そこで我が「消銘村正」ですが長らく錆び身であった刀に最近拵えをつけてやりようやく洋服をきせてやることができましたなによりです。長らく・・・でした。さて・・・この刀は、・・・・1,中心の形がかなり変わっている、2,姿が室町時代は間違いない、3,姿が美しい、4,中心に2つある大中の目釘穴の鎬の部分に横に鑢がけの跡がある。などで村正を疑っていましたが確たるものはなかったのでとりあえず試斬につかってみました。青竹(年数3年~位の直径5㎝以内の古めの竹)の試斬では、、カーンと固い竹が道場を飛び回りギャラリーが危ないとばかり逃げてまわっていました。このきびしい試斬でも消銘村正はびくともしませんでした。古刀は刀剣コレクターの話では柔らかいとの評価が一般的ですがそんなことは無いことがハッキリした次第です。さて刀剣美術の657号に655号誌上鑑定刀である村正の講評が出ていましてビクリやや!!村正だった。ああもぅ切れないかなあ!!、武州河越のイモサムライでした。ここに講評と我が愛刀の中心の写真添付しておきます。

2011/10月の試斬

昨日は試斬仲間8名と道場にて試斬を行いました。生竹小中50本、巻き藁半巻き・1枚巻50本を切りました。19才の大学生から60代前半の者がサムライ道を、、形居合に使う手持ちの良い刀では刃が立たないことをひたすら実感!、剣道有段の若者に手の内を指導、シナイを握るような持ち方ではサムライらしく、、美しく切れません。もののふの美意識をチョッピリ口上述べた次第。私も美しく切れるよう鍛錬しております。すこし柔軟体操がたりなかったか!けいれんする。

 

夢に出て来た故意の強制割り込みから目が覚めて、、早朝の6時から1時間ほど素振りの稽古&型稽古を爽快な気候の中行い昨日の上田城での観光を思いだして、あれが2度も徳川の大軍を打ち払った城かと思うとなんか誇らしくなってきた次第。次回は小諸城となりましょう!。城内の市立博物館におきましては甲冑の展示はあったものの刀の展示がなくて正雄の刀くらいは展示しているかと思ったが残念でした、次回はもっと時間をとってゆっくり散策したいと思います。此処にマップのせておきます。

 

 

約450キロ、、朝6時20分発車、、17時18分帰還。関越道・・長野道・・・上田菅平IC・・上田城到着9時、、東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)前の駐車場に愛馬を駐輪して場内に入場する真田神社にて参拝後場内を散策、、堀の端っこの隅櫓跡から北櫓まで堀を回って南櫓内から場外を見る、、ここから火縄銃を撃ったのか、、内堀の中はそんなに広くもなく、、ここに2000名の兵とともに籠城して徳川軍と戦闘したのかと思うと、、先祖さまも大変だったんだなあと思った。このあと大屋から白樺湖・女神湖経由、、諏訪インターから中央道、、小仏トンネル手前40キロ渋滞とかのなかを路肩をトボトボ、、、走行で、、外環へようやく高速走行にでも、、、ここまで来るとソロ走行も飽きてきたので、、ハーレーの一団のケツについて走行、、ペースが上がるが、、なぜか追い越し車線をやや速いペースで連続走行、、まあいいかと思っていた、、後方には4輪がついてこないから迷惑になっていないかと思っていたが、、かなりたってから走行車線をかっとンでいった日産の白のワンボックスが詰まったので強引に右車線変更で先頭のハーレーと2台目に間に割り込む、、2台目のハーレーはギリギリに右に寄りよける、、先頭ハレーはアクセルアップして左車線に入って、、、ワゴンを行かせる。危ない!!あわや接触寸前だった。あれで接触していれば、、当然転倒して後続のバイク(我も)も非常に危険だった。高速道路でバイクと接触すればかなりの確率で死亡だ、なんであんな危険なことをわざとするのだろう。それから大変珍しサイドカーを見た、、ロシア製のウラルと言う軍用ベースのバイク、、インディジョーンズでハリソンフォードが出てきそうなバイクでした、すっかり気に入ってしまった。

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