Archive for 8月, 2013


我が埼玉RBは、第34回9都県市合同防災訓練にバイク5台で参加いたしました。この訓練内容は表面上は会場内をバイクでちょっとだけ走る内容ですが、この訓練は多数の公共機関(警察・自衛隊・消防隊)、民間ではNTT、東京ガス等の大きな会社と一緒になっての活動になります、、ちっぽけなボランティア団体が参加していることがとてもすばらしいことと思います。このことは行政にも災害が発生した時にバイクの機動性が認められていることになります。走る距離が大切ではなく、参加して皆さんに見てもらうことがバイクの社会的な認知(ただうるさい、、暴走車!、街道レーサーでなく)をしていただく大変良い機会なのです。しかしながら、埼玉RBでは参加メンバーが減少し、危機的な状況にいたっています、大きな意義を見て、こまかな雑念を払って参加をしていただきたいと思います。バイクの良さをアピールする為に、、。今回は災害ボランティアバイクネットワークが白バイ隊の後に続いて入場して、間隔をあけて自衛隊のオフロード車に続いて埼玉RBが入場、、数分倒壊家屋間を捜索して退場、、指揮所にて報告して出発地、駐車場に戻る。

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古来もののふにとって刀は武士の象徴であって信仰の対象でもありました、そして武士道ではその佩刀はなによりも美しくなくてはならなかった。しかし幕末期にいたってはその美しき地金の働きは消滅しており、水心子正秀は復古刀論を唱え復元を図ったが彼の生涯において再興はならなかった。その後武士道の衰退は進みやがて我が国は白人との人種間闘争にやぶれ壊滅的なダメージを受け古来の武士道は日本刀共に絶滅させられてしまった。GHQとの地道な活動を行った偉大な先人達の努力によって日本刀の作刀と武道としての剣道・居合道の再興が実現して、やがて共に華やかな開花をみるが一度失われた文化の再興は用意に成らず、かつての刀の地金は作り出せないにいたっている。いっぽう武道においての剣道についてはかなり盛んになるがスポーツ化してしまって”サムライ”とは言えない人たちであるとの批判があり、やがてそれに呼応する形で全日本剣道連盟居合道が制定され、先人達の努力によって盛んになり現在に至っている。その居合道においても相手が居ないとの指摘があり、試斬道においても斬っているだけとの指摘もある。一流のアスリートは道具にこだわっています、もののふの再興は道具にこだわってこそゴールになるのかもしれません、これを”もののふの美意識”と言う。

いつだったか、道場で昇段に会わせて真剣がほしいので都内の刀剣店に行ってみようと思うとの話が出ました。私のほうからいくら出すのか伺ったところ30万円とのことでした。そもそも都内の刀剣店は美術刀剣中心の扱いで無理とおつたえし、時間が合えばご案内も可能と伝えました(遊びとボランティア活動の一環です)。最低金額は50万でしょう(伝える)がそれでもどうかなとは思います(言えない)。今はそれで良いかもしれませんが、、どうなんでしょう、ほんと疑問が残ります。ものごとは考え方で300万円する中程度の車も10年立てばただの資源的な価値しかありませんが、名刀はそれなりの価値が100年たっても変わりません。今のっている車の買い換えを3年のばしてその資金で・・・人に自信を持ってみせられる名刀を我が佩刀としてもらいたい次第です。あああ、、名刀を見分けできる力も技の内です。

私が旗を振ってあつめている衆徒たちで試斬を愛好しています。そもそもこの衆徒を企画した理由にあるのは既存の形居合いに・・・・もの足りなさを感じてのことです。先日の道場の暑気払いで剣道も高段者の先生から居合いと剣道の違いが論ぜられ、その中で剣道は相手がいる、、それに比較して居合いは相手がいない、空を斬っているだけ・・・と述べられていました。確かにそのとおりで本当に斬れる居合いになっているかわかりません。だからこそ抜刀試斬道を実践して巻き藁を青竹を斬っているのです。この度試斬衆は会費を徴収して、なおかつスポーツ保険にも加入して衆徒が出稽古にも積極的の出れる環境を整備いたしました。重ねて武士の嗜みでもある日本刀に関する美術的関心を深めてもらい、伝統工芸の普及につとめて行きたいと思います。先日は衆徒のみなさんに私が所有する古作の鍔を見てもらいましたし他の方の備前祐光の刀の鑑賞等も行いました、なんかほしくなる刀でした。

 

毎年ですが埼玉レスキューサポートバイクネットワーク、、埼玉RBは埼玉県下の防災訓練にバイクをもって参加しておりますその時に大きな役割を担っているのがアマチュア無線の利用です、2台一組になって走行するのでその連絡に、、また市内の他の場所に行っている組との連絡に使用しております。ロケーションにもよりますがなんとか交信することもできてその効果は大きいです。今回の訓練では狭山のレピーターを使いましたがあまり良好な通信ができませんでしたけど今後もいろいろなパターンを研究して行きたいです。次は9都県市の白岡です、、たくさん集まれ!。

 

雨の中、埼玉レスキューサポートバイクネットワークは入間市の防災訓練に参加してきました。当日はまたしても雨、いつだったかた台風の中この訓練で参加したことがありますがその時ほどの雨ではないもののスリップしやすい路地(起伏あり)などを走行するので注意が必要です。バイク隊の任務はその機動性を重視して市内各箇所に設置された災害対策本部間の連絡・情報収集、報告文書の回収等を行い市役所に設置された総合対策本部に持ち寄るものです。もうひとつは、各地の集会所から学校などの避難所への道路の安全を確認して誘導するものです。いずれも今回は大型のバイクでの実施になっていますが、実際は原チャリが一番です、理由は移動距離はそんなに長くはない、また、20リッターのポリタンク程度は簡単にステップにのせて走ることができる、また、誰でも乗れることにありましょう。実際東北大震災のとき、埼玉RBは原チャリ2台、モンキー、モトバイクで災害救難を実施しています。特に山間部で起きた中越震災ではバイクは大活躍しました。いざ国難、「刀をスコップに持ち替えて愛馬にのり参上するのは武士として当然のこと」と考えています、昇段審査は来年に延期すれば良いのです。埼玉RBも大分衰え、兵力がたりません作戦実行能力は崩壊寸前!立ち上がれ!。

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もうれつな暑さの中、所属する道場の暑気払いが盛大に和食のお店で行われました。何名くらいあつまったのだろうか?30名くらいだろうか?総数が70名くらいだからだいたい半分あつまったと言う感じです。16時からスタートおよそ19時終了でした、みなさん2次会へ、、さらにもりあがってカラオケもおこなわれたようです、当局は次の日に災害訓練があるので1次会で退散、まわりの方々と普段話せない刀談義などができてとても楽しかったです。さて、はやく涼しくなれ、、!。

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昨日、近隣の武道家で試斬を愛好するひとたちを集めて暑気払いの試斬を15時から私の上福岡の家の駐車場にて行いました。だいたい埼玉県南西部の、、川越周辺の方々8名があつまっていただき盛大に行い、終了はおよそ21時過ぎまででした。武道談義、刀談義、今回は私の所有する鍔を数点展示して(贋物から梅忠在銘の鍔等)、、どれが一番高いかクイズ、一個贋物がありみんさん見抜いてもらい、、良かったです。やはりみなさんに共通して理解していただいているのが日本刀・刀装具にかんする見識の大切さについてです。形居合いも大切ですが斬ってこそ形居合いがさあに深まり、日本刀関係について興味をもって接することによってさらに形居合いも楽しくなると言うことです。刀剣研磨についても、知識のある方から聞くとさらに深まり、鑑定にちかいことにも興味をもつことによって奥義がふかまろうと思います。刀だけ振り回すのがいくら上手でも段位が上でも良い道具をみわける力も技の内と言えると思います。

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武器としての実用性に乏しかった日本刀
(文献より抜粋した資料より記述)
戦国時代には、さまざまな武器が用いられました。それらのうち、戦場に持ち出された数がもっとも多かったのは、聞違いなく刀で、もっとも、刀にもいろいろありますが、この時代には、刃を上に向けて腰に差す打刀形式のものが一般的になっていました。大小の日本刀を差す風も定着しつつありましたが、それ以上の本数を携えてゆく者も少なくなかったから、戦闘に参加した人数の何倍もの刀剣類が用意されたことになります。戦闘員だけではなく、後方要員のような非戦闘員も、刀だけは差していたから、ますます絶対数は大きくなる。武士階級に限らず、当時の目本の男たちがほぼ一様に刀を帯びていたことは、来日していた宣教師たちも報告しています。しかし、戦場に刀がたくさん持ち出されたということと、戦闘における有効性が高かったかどうかということは、明らかに別の問題であります。そのことは、戦闘に加わった者がどういう武器で傷つけられたかを見れば、容易に証明できます。この時代には、戦闘報告書など一応信頼できそうな史料で、本人や部下たちの負傷の状況を記したものがかなり残されていてそれらから負傷原因のはっきりしているものを拾い出して統計を収って見れば、武器としての刀の位置づけがはっきりしてきます。戦国時代の始まりとされる応仁の乱から、島原の乱までの史料から拾った資料によりますと、おお そよですが負傷原囚を多い順に並べると、鉄砲22%、矢疵20%、、槍疵20%、石・火疵10%。刀傷などはわずか5%、その他薙刀疵などと合わせてみても約80%程にしかならない。刀剣類で負傷した人は、槍・鉄砲はもちろん、高いところから石を落とされたり、投石を受けたりして負傷した人よりも、まだ少なかっいのです。これは、日本刀こそ、わが国の伝統を背負った代表的な武器であったと信じている人たちには、いささかショツキングな数字かもしれない。そのためか、かつて、こうした統計を示したところ、刀でやられると致死率が高いから、負傷者としては出にくいのだという意見もありましょうが!。しかし、甲冑の厚門家によると、刀では金属製の鎧はもちろん、革鎧を切ることも難しいそうでありますし、居合い抜刀道の試斬を少々やっている現代のサムライ諸氏の体験からも十分理解できるものです。映画やテレビドラマの戦国合戦の場面というわかり安い映像にてやや誤解的理解をしているのです。戦場での武器としての刀の殺傷力は、きわめて低いのです。
刀はなぜ戦闘の役に立たなかったのか
刀があまり戦闘の役に立たなかったのは、そもそも、この時代の戦闘が遠戦つまり敵と離れて戦うことを主体に行われていたことも背景にあります。先の統計でも明らかなように、弓、鉄砲、石火傷者を合わせてみれば、52%以上に及んでいる。これでは、白兵(刀や槍のような刃のついた武器)の出番が乏しくなるのは、当然であります。 これは戦国時代になって始まったことではなく、それ以前からの傾向でありまして、鎌倉末期から南北朝時代、つまり楠本正成や足利尊氏の活躍していた時代などは、もっとはっきりしていて、同様の統計を取ってみると、矢疵が86%、石・火疵が1%であるから、九割近くが遠戦兵器でやられていることになる。それより前の時代については、統計を取ってみることはできないが、文献によってたどる限り、明らかに主武器は矢であって、刀剣類は補助的に用いられていたに過ぎない。要するに、わが国では、戦場における白兵の役割は、一貫して低かったのであります、やはり飛び道具の威力が大きいのは実感的にも理解できる内容と思います。白兵を用いて戦うことが戦闘の基本であるとか、それによってのみ戦闘に決着を付けることができるといった考え方(これを「白兵主義」という)は、文献資料から見る限り、どの時代においても希薄であったのです。戦国時代になっても、弓矢は大きな役割を果たしたが、この時代の後半になると、鉄砲が導入されて、次第に肩代わりされるようになりました。さきの統計では、鉄砲疵の比率が低すぎるように感じた方もおられるかもしれないが、鉄砲疵というもので、史料に登場(鉄砲伝来から信長の時代)した以後の戦いだけを切り離して計算してみれば、43%にも及んでいる。もちろん、この時代にも白兵による戦闘が行われなかったわけではないし、槍疵を負った者がいなかったわけではなく、その時代でも槍痕を負った者が20%いるという事実が示している、刃物の傷で槍傷は変わらないと言うこと。それにもかかわらず、刀による負傷がはるかに少ないのは、接戦になった場合いには、槍は役に立たなかったからであります。なによりも槍を持った相手に普通の刀で立ち向かうことは、まず無理です、勝ち目はありません(武道の常識)。
そのことを裏付けるような話は、数多く残されている。この時代の槍というのは、敵を突くというよりも、振り阿して叩き倒すために用いられることの方が多かった。これではますます刀に勝ち目はないです。ちなみに通常の刀の親類に、柄や刀身をことさら長くつくった長巻とか野太刀といったものがあるが、これらの用途は、相手をなぎ倒すことの方に力点があったが、飛び道具はもちろん、槍にもかなわないとでしょう。戦場にて白兵戦にて敵兵をもっとも倒すのに有効だったのは鎧通しだったと思われます、倒れた敵兵をバックストップした状態で短剣で突き刺せば強固な鎧も貫通したことでしょう。刺すことが(斬るでなく)有効な手段だったと思われます。 こうしたハンディに加えて、日本刀には構造上の問題もあった。なにしろ刀身は折れ曲がりやすかったし、その刀身を別に作った柄に差し込み、目釘でとめるという方式にも強度の点で欠陥があります(抜刀やればすぐにでもわかります)。また、手入れもけっこう面倒であった。日本刀というのは、さまぎまの意味で武器としては実用性に問題のあるものだったのです。ここまで読まれた方は、そんなに問題のある武器が、なぜあんなに大量に持ち出されたのかという疑問をお持ちになったかもしれない。一つは、護身用あるいは補助的な武器としての必要性であります。槍・薙刀などを取って戦っていた者がそれらを失った場合、何もないというのでは困る。また、不意に敵に襲われた場合とか、室内などで狭い場所で戦わぎるをえなくなった場合には、刀のほうが有効いうことが言えます。また、この時代にほ、海上での戦闘は余り行われなくなっていたが、そうなった場の船上では槍・薙刀などの長物にくらべて、刀は使いやすい武器です、現代戦でも兵士の多くは腰に拳銃を所持している、道具は壊れるのです丸腰ではあまりにも寂しい!。もう一つは、戦闘のためではなく、「首取り」のための必要である。この時代の武士たちにとって、敵の首を取ることは手柄の代名詞のようなものであり、首と言っても、正々堂々と渡り合って取るとは限らない。そんなのは、むしろ例外で、負傷して動けなくなった者や戦意を失って逃げる者の首を取る方が圧倒的に多かった。この時代の戦死者というのは、即死者ではなく、そういう形で首を申られた者が過半を占めたはずであります。いずれにしても、敵の首を切り取るためには、刀剣煩が不可欠であり、それには通常の大刀や小刀が用いられることもあったが、首取り専用のような寸延びの短刀等がありました。また、首を取ったり取られたりするのは、戦闘員とは限らず、非戦闘員も多かった。被らが帯刀していたのは、自分たちが首取りを実行したり、それを防いだりするためでもあった。首取りに用いられた刀の数は、戦闘に用いられたものより、はるかに多い。たとえば、大阪落城のとき、徳川軍の取った首は、記帳されたものだけで14000 くらいとのこと。一人で複数取った者もいるから、同数の短刀が使われたとは言えないが、短刀は必需品であったわけです。戦国時代における刀(打刀)の役割は、掛け値のないところ、たいした役割はしてこなかったのです。ここまで述へたようなものでありますが、後世になると、日本刀こそ、有効な武器であるという考え方が現れだして、これは江戸時代の後期になって、実戦の経験が忘れられてから生まれたもので、戦国時代には、そんなことを考えた者は誰もいなかった。
こうした刀を絶対視する論は、幕末の攘夷論者などが好んだところですが、外国艦隊の砲火を浴びると、たちまち消し飛んでしまった。NHK「八重の桜」でよく表現されています。さらに戊辰戦争の体験を経るに及んで、日本刀で洋式銃に対抗できるなどと考える者はいなくなった。それで終わればよかったのですが、日露戦争が終わった後、日本陸軍は、突然に、、日本刀を装備として持ち出し(白兵主義)、太平洋戦争へと突入していった。織田信長が聞いたらさぞビックリしたでありましょう。日本刀では戦に勝てないのは戦国時代では常識だったことでしょうに、それを忘れては、勝てないですね!ほんと、終戦の日に記載するのもやや気が引けますが失礼しました。
注)白兵はウィキペディアを参照してください。
信仰の対象としての刀
刀剣は武器として発達しますが(日本刀1000 年の歴史)、もっと長い歴史(地球上の・・)の中でもこれほどまでに大切に扱われた国は、我が国をおいて他にないと思われます。
「三種の神器」に剣があるように、武器として実用に供されることなく、御神体・御神宝として祀られており、戦勝や武運長久などを祈願して神社仏閣に刀剣を奉納するなど、宗教的風習は古くから行われてきました。また、刀剣は「武士の魂」といわれ、武器としてだけでなく美術的にも優れたものが求められ、家宝として、また、権威の象徴として大切に取り扱われてきました。一般の家庭でも死者の枕元に「守り刀」として供えられるなど、人々の精神生活とも深い係わりを持ってきました。サムライにとって武士道では刀は美しくなければ許せなかったのです、その顕著な礼は懐剣と言われる短刀(憎き親、兄弟の敵を討つ道具)です、西洋の短剣のように三角形の両刃の姿ではありません、西洋の短剣の姿のほうが殺すには有効なのは承知のことでしたが我が国の短刀はそうのような姿をしていません、良く見て、意識をもって鑑賞してください。
象徴としての刀
新渡戸稲造先生は、いかに刀を重視していたかを語り、「象徴としての刀」の存在を説明している。刀は武士の魂十五歳にして成年に達し、行動の自由を許さるる時に至れば、い かなる業にも用うるに足る鋭利なる刀の所有を誇りうる。この兇器の所有そのものが、彼に自尊ならびに責任の感情と態度を賦与する。「刀は伊達にささぬ」。彼が帯におぶるものは心におぶるものーー忠義と名誉の象徴である。大小二本の刀、太刀小刀、もしくは刀脇差と呼ばる刀は決して彼の身辺を離れず、家にありては書斎客間のもっとも目につきやすき場所を飾り、夜は容易に手の届く所に置かれて彼の枕頭を守る。刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。史学の祖(註‥ヘロドトス、~紀元前四二〇年以前)はスキユタイ人が鉄のえん月刀に犠牲(いけにえ)を捧げたことを一の奇聞として録しているが、日本では多くの神社ならびに多くの家庭において、刀をば礼拝の対象として蔵している。もっともありふれた短刀に対しても、適当の尊敬を払うを要した。刀に対する侮辱は持ち主に対する侮辱と同視せられた。床に置ける刀を不注意に跨ぎし者は禍(わざわい)なるかな!」
象徴としてでなく武器として使用する時の心構えについては、武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて日く、「断じてしからず! 武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。場合を心得ずして刀を揮(ふる)った者は、卑怯者でありホラフキであった。重厚なる人は剣を用うべき正しき時を知り、しかしてかかる時はただ稀にのみ来る」。

最後に、一流のアスリートは競技に使う道具には相当にこだわっているものですが、本物のサムライを志向するあなたもヒルマズ・・オクサズ、チャレンジしてもらいたいです。追記)刀剣美術にも関連しているレポートが掲載されていますので後日記載したいと思います。
初発心時辨成正學

娘とも話したが我が家のneneちゃんと沖縄飛行機の旅にいかなくてほんと良かったと思う、一般的にですが日本犬は気候変動に強いが、チワワ等の洋犬はひ弱だ。長旅で置いていくのは無理があるから、こんごは車で行ける範囲でも十分楽しめると思うので、愛犬を飛行機にのせるのは辞めた方が良いと思う。

大変かわいそうな記事をみつけた、有料で預かった以上、離陸直前と直後には健康状態を確認する義務があると思います、いくら免責事項を契約しても瑕疵、過失が会った場合は無効だ、記事を転載した。私が父親だったら娘の恨みの仇をうつべく裁判所に行く、勝敗は問題ではないと思うのです。

飼い主の少女は、2013年8月12日の15時過ぎからこうつぶやき始めた。

■「ミスがなければ死ぬはずがなかった」 ツイートによると、少女は両親らとこの日、国内のある離島に旅行に行き、東京・羽田空港で出発前に、チワワのポポを全日空のペットサービスに預けた。このサービスは、一部を除き5000円かかる。しかし、1時間ほどして島の空港に到着し、ペットケージのカゴを受け取ると、ポポはひっくり返った状態だった。 意識は少しあったものの、瞳孔が開いており、舌も変色していた。少女らはポポに水を急いで飲ませたが、ポポはけいれんを繰り返すだけだった。父親からは、ポポの心臓はすでに動いていなかったと言われた。 両親が空港からすぐにタクシーで獣医に連れて行ったが、獣医からは、ポポを収容していた部屋の温度があまりにも高かったのだろうと説明された。体温は、平熱よりかなり高く47度以上にもなっていたという。ポポは飛行機に乗る前までは元気で、預ける直前まで水分を摂らせていたそうだ。少女はツイッターで、全日空から「過失はない」と言われたとしながらも、「ミスがなければ死ぬはずがなかった」と言って嘆いている。 全日空のホームページを見ると、ペットサービスでは、空調が客室とほぼ同じ貨物室で預かるとしている。しかし、注意事項として、飛行機に乗せ降ろしするときの外気温、「夏場においては駐機場の反射熱などにより外気温に比べて高温になる場合もございます」と書いてあった。

■「今後は、できる限りの対応を考えて実施したい」 飼い主の少女はツイッターで、チワワのポポを飛行機に乗せる前の地上の温度が高すぎたと聞いたと明かした。とすると、この日は東京でも猛暑だったことから、ポポは飛行機に乗せるときに駐機場の反射熱に晒されて熱中症になってしまったということなのか。 全日空の広報部では、ポポの死因が熱中症かについて、「司法解剖にならないと分からないので、特定致しかねます」とした。しかし、飛行機に乗せるのに10分弱かかったといい、「確かに、炎天下に飛行機が停まっていて、下からの熱に晒されたことは十分に考えられると思います」と話した。 ペットが預かり中に死んだケースは、この1か月については今回だけだとした。担当者は、頻発するようなものでもないとしている。今後については、「同じことが起こらないように、できる限りの対応を考えて実施したい」と言っている。 なお、ポポの飼い主少女は、ペットの死傷について損害賠償を求めないとする同意書を書いていることなどから訴訟は起こさないと父親から聞いたことを明かしている。 ネット上では、「うーん、まともな神経してたら使わないだろこのサービスは」「高い勉強料だな」と飼い主がペットを連れて行ったことに首をひねる向きもある。一方で、全日空に対し、「生き物を運搬するなら細心の注意を払うべき」「有料ならもうちょっと何か対応あってもいい気がするわ」といった疑問の声が出ていた。

 

暑気払いの試斬

8月2日(金)・・先週切り出した青竹と巻いておいた巻き藁にて試斬会をおこないました、こんかいは刀剣コレクション中心の方々で行いました関係で結構あまり、、、けっこう本数があったので私とE氏とで残った竹を残処分、、かなり斬り込んでの終了となりました。これからもっとあつくなると思ったとおり、、今日の暑さはいったいなに!、、。

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