Archive for 3月, 2016


なかなか面白い記事の見出しがあったので記載するが、もっとまっとうな隣国になってほしいと言う希望を込めて。
MAG2NEWS、2016/03/31より転載
韓国では日韓併合時に日本が遺したもの、例えば地名に当てられた漢字や和製漢語、果ては樹木など、いわゆる「日帝残滓」を消し去ろうという動きが今なお盛んです。しかし、メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では、それら全てを排除すれば韓国には何も残らない、と一刀両断しています。【韓国】日帝残滓を一掃するほど何も残らなくなっていく韓国
● 日本が改悪した「怨慟山」、本来の「円通山」に表記変更=国土地理情報院
韓国では現在でも、「日帝残滓」を一掃するということで、日韓合邦時の遺物を破壊したり、改変したりしています。
韓国の国土交通部国土地理情報院はこの度、ウォントン山の漢字表記「恨慟山」を「円通山」に改称するなど、全国66の地名について変更するということを決定しました。もともとウォントン山の名称は「円通山」であったのに、日帝時代に日本が「恨んで悲しく泣く」という意味の「恨慟山」に改悪したから、それを元に戻すという理由です。しかし、これが本当に日帝によって改称されたものかどうか、極めて疑わしいものです。たとえば、日本時代にはソウルは「漢城」から「京城」という表記になりましたが、これも戦後、日本が朝鮮を貶めるために行った改名であり、日帝残滓とされました。しかし、もともとソウルには李氏朝鮮時代以前から「漢城」「漢陽」「京城」といったさまざまな表記があり、これに加えて漢字表記のない「ソウル」という口語的呼称があったのです。べつに日本が「京城」という言葉を作り出したわけではなく、もともとあったものに変えただけです。しかも京城というのは「王のいる都」という意味で、特段、朝鮮を貶めるために行ったものではありません。李朝時代から京城(王都)を開城から「漢城府」に遷都したのは、朝鮮が満洲人(清朝)に臣服後、大清皇帝頌徳碑や迎恩門、慕華館といった臣下の礼を尽くす建築物を建立したこととセットで行われたことであり、本来なら王都は「韓城」と称すべきでしたが、これを「漢城」としたのは「事大一心」という忠誠心を表すためでした。日本が測量で打ち込んだ杭すら「朝鮮半島の気脈を断つため」長らく中華帝国の属国であった朝鮮は、日清戦争に日本が勝利したことで、はじめて独立を果たしました。中華の影響力が残る「漢城」という表記より、王のいる都市という「京城」のほうが、よりふさわしいと思われたのも当然でしょう。戦後、もしも「漢城」に戻したいと思うなら、いつでも戻せたはずです。しかし韓国は漢字表記のなかった「ソウル」という呼称を使うことを他国に求め、一方で漢字を廃止したために、長らく「ソウル」を示す漢字がないという状況が続きました。中国では相変わらず「漢城」がよく使われてきましたが、2005年にソウル市は「首爾」という字を当てると発表しました。韓国側としても、いかにも中国の属国にあったことを示す「漢城」を使うことは納得できなかったのでしょう。そのことからしても「京城」という呼称を「日帝残滓」とするのは無理があります。しかも「漢城」の中国語発音は「ハンチェン」ですが、「首爾」は「ショウアル」で、「ソウル」の音に近いわけです。しかし、音を優先させたため、漢字の持つ意味や歴史性・伝統性などは失われてしまいました。日本が歴史的に使われてきた「京城」に改称したのとは、まったく異なります。韓国では、日帝時代に測量のために地面に打ち込まれた杭については「日本が朝鮮半島の気脈を断とうとして打ち込んだもの」として、現在でもこれを引きぬき、日本時代に植樹された樹木も伐採するようなことが進められています。また、韓国軍内の暴力事件も日帝時代の名残だと、日本のせいにしています。
● 国立顕忠院に植えられた日本原産の木、すべて植え替えへ=韓国
ソウル市では、「切取線」「食費」「呼出」「回覧」といった和製漢語も修正するといったことも行なっています。
● ソウル市が行政用語に使われる日本式漢字語の純化語を選定朴槿恵大統領の言葉や国家儀礼の用語にも和製漢語がふんだんに使われており、「国民儀礼」「参拝」なども和製漢語だとして、「こうした日帝残滓はきれいに洗い流す必要がある」という韓国人専門家も少なくありません。● 朴大統領もよく使う?韓国国家行事でも多用される“日帝残滓”表現とは? 韓国ネット「全部排除したら話ができなくなる」「同じ漢字文化圏だから…」しかし、アジアの近代化にとって、日本が創出した和製漢語の存在は必要不可欠なものでした。西欧の近代科学、近代哲学を導入するにあたり、従来の漢語ではその概念を説明することができなかったのです。そこで日本は独自に漢字を組み合わせ、西欧近代主義の概念を取り入れたのです。「科学」「哲学」「自由」「進化」「福祉」……これらはいずれも和製漢語です。そして、日清戦争に日本が勝利したことで、清から日本への留学ブームが起こり、この和製漢語が中国大陸へ、そしてアジアへ拡散していきました。現在の「中華人民共和国」の「共和国」も和製漢語です。もちろん日韓合邦後の朝鮮にもこうした和製漢語が流入し、朝鮮人の啓蒙と朝鮮半島の近代化に大きな役割を果たしました。韓国人はなにかといえばすぐ「日帝は朝鮮半島から言語を奪った」と言いますが、むしろ近代的な思考のための道具として和製漢語を与えたのです。もし和製漢語が朝鮮半島に入らなければ、現在でも韓国は李朝時代の前近代状態だったでしょう。続きはご登録のうえお楽しみください(初月無料です)
黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』より一部抜粋
著者/黄文雄台湾出身の評論家・黄文雄が、歪められた日本の歴史を正し、中国・韓国・台湾などアジアの最新情報を解説。歴史を見る目が変われば、いま日本周辺で何が起きているかがわかる!「日帝が半島から言語を奪った」という韓国の真逆なウソ

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危機的な病気、、山奥でなったらどうする。1案)救急車を呼ぶ、2案)耐える、3案)移動開始する。・・通常はやばそうな病気になって・・救急の場合は救急車を呼ぶのだろうが、、山奥でなったらどうするか?。場所は奥日光湯本、日光市からきても片道40分位、、往復90分、、どこへ連れていかれるや不明。美味しい夕食を食べたあと、、火曜日の深夜1時30分ごろ急に突然胃が痛み出して、ねじれるような痛み、朝方には直通状態、吐き気はあるがなんとか頑張る、、持参の胃薬を2回程のんで朝8時には小康状態、でも・・下からは!でる(水が・・・)ばかり脱水を防ぐためお湯をのむが飲むと猛烈な痛みがはしる。朝食はキャンセルまったく食べられないのである。10時には友人の運転でイロハをくだり、国道122号から関東道、関越道と13時には自宅に送っていただく(トイレを何カ所も繋ぎながら)で・・・。次の日に相良胃腸科に行ってみていただいたら悪性でないウイルス胃腸炎とのことで(ノロでなくて・・)点滴、、お薬で、、夕方には楽になったが、空腹感はまったくなく固形の食べ物はまったく受け付けない状態になる。金曜日位になんとか固形の食品をチョッピリ食べられるようになり、、日曜にいたって麺類くらい食べれることになるが重い肉料理・ご飯はいまだに無理、、ここまでまったく空腹感が出てこないのあるが、、完全回復には当分かかるだろう。1~3日の潜伏期間とのことで旅行前に感染したのだろうが?、、一番気になっているのがやはり公衆トイレ、店舗などの可能性が一番高いとおもう、、対策は手洗いの徹底とうがいであろう。こんどからもっと徹底して実行してゆく決意をした次第。人間痛い目に会わないといい加減なもんなんだってことですね。

日光、温泉旅行

今月、、21日奥日光湯本の温泉に入ってきました。ずいぶん前にツーリングで来て依頼です。この時期はオフシーズンと言うこともあり半額とのことで1万円以下で宿泊できました。食事も良く、温泉は強烈な黄色の温泉でかなり効くって感じです。雪は路面にまったくなく戦場ヶ原は一面茶色でなんとも迫力不足でしたああ。IMG_7462 IMG_7465 IMG_7460

2016年3月の代々木鑑定会。2階博物館入り口に沢山の若い方がいたので何かやと思いきや、、何でも漫画で刀剣鑑定のようなことをする物?があるらしくその方々とのこと、全く解りません。さて鑑定会ですが刀剣女子頑張っていますねえ、、。それで今回は鑑賞刀が素晴らしかった、水心子正秀一門の刀が5口ずらり作域はまさに最上の刀ばかり特に直勝の刀が素晴らしかった師匠直胤を越えた出来、、師匠を超えた直胤も素晴らしいが、、やはり超一級の門弟を多数育てた正秀のすごさでありましょう。自分を越える門弟を育ててこそ大物なのだと思う。鑑定刀の1号刀は、伝長義とのこと、、大摺り上げの太刀でした。通常よくある無銘長義の大摺り上げの姿・大胆な刃文ではなく在銘長義の寂しい刃文の刀に近い刀とのこと、この在銘の長義の刀を知っていれば容易に鑑定の当たりを取れる刀とのことでしたが私は大宮盛景等では駄目でした。2号刀は脇差しで、あんまり見ない姿、表と裏の造り込みが違う!片切り刃、大樋に本造りに彫り物、、平地の冴えた地金のほうを見て鑑定新刀ね、互の目数珠刃などの刃文を考慮して何となくの上総介兼重で当たりでした。3号刀は、刃先に抜ける丁子を見て新々刀、他をみると古刀、南北朝の太刀摺り上げに見える出来、、2尺2寸、、明治3年年紀の栗原信秀の作でした。豪快な姿でなかったので固山宗次、正義で能で終わりでした。4号刀は有名な刀だそうでした、が知りませんでした、、。大左の安吉の短刀、、姿から南北朝は解りましたが九州とは洗練された地金・刃文からは行き当たりませんでした、、確かに左文字腰刃、焼出しに乱れを焼きそれから小模様に、上部に焼を広く、刃中の十分な働きなどの特徴。5号刀は出羽大掾国路の脇差し、、ザングリとした大肌、沸え崩れの刃文、三品に似た帽子の姿があった、国広で同然でした。それから学芸員の方が鑑定の要点、鑑賞刀のポイントを説明している時に私語はいけません。マニュアル通りの説明を一生懸命されておられるのですから真面目に聞きましょう。こんどやったら録音公開いたしますよ!ほんと。でも説明ですが、、きちんと学校の先生に学んだほうが良いと、、教員の方が言っておられます。ので、、結局は下手です。やはり1口くらいはホワイトボードを使ってNHK番組のドクターの病名判定番組のようにやってみてはと思います。ところで、、くれた資料、、直胤の家の地図は結局刀鍛冶は貧乏だったとの報告?、くれるなら要点マスター集にしてくれると有り難いし、説明する方も楽なのでは、、。では来月に、、期待。

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