Archive for 4月, 2019


GWの前半の本日日曜日は秩父行き林道ツーリングが集まらず延期となったのでソロでいくことにした。なんとか6時に起きて外をみると、GLのシートカバーを外しに外にでるとなんとも寒いや、、やめようか、やめてどうする、結局7時に出発、ガスが空なので給油、タイヤ空気圧確認完了、、やや風があって車重500キロの車体が流れるがまああ、なんとか行けそう、この風では高速はチト危ないかも?、まああ朝なので下道を行くことにして、上尾から栗橋線、利根川をわたってから4号バイパスへ、快適に宇都宮まえでいくがこのさき、サーキットの場所が良くわからず、ナビを設定するがまた、ナビに遊ばれさんざんいなか道を走らされては到着するがサーキットのバイク用入り口が巨体のGLには、驚異の狭さ、おまけにカーブ道路口から急勾配左にトンネル通路は2000幅位で、真面目に驚異、トンネルを抜けて出てから道幅は広いものの、アップのどうろ、、まともではない通路だ。坂でガッチンコしたら事故の可能が大きい。しかしGLのサイドカー乗ってみたいな、、4号でサイドカーの一段が走っていました。行き先は、もてぎ?。帰りは那須から川島まで高速で快適に帰宅、行きは5時間、休憩3回、帰りは休憩2回で3時間。

平成31年4月26日戸田市文化会館にて実施された同期会、総勢70名程が集まり実施された。恩師の先生も中村先生、新井先生が参加され、約3時間30分の会であったが大変楽しく過ごせた次第です。個人的には当時のバイク仲間のガンジー君と、元彼女の早苗ちゃん、静枝ちゃん、幼馴染みの洋子ちゃん、、今回来なかったみつ江は大丈夫かな?。、、またいつか早苗ちゃんと、、、、。今回が最後の同期会であることになっているから、、お元気で。宴会でいろんな方が今どうしているとの声が聞こえて来ているが、崩山慶子はどうしたとの声も、、あああいたな!、一回学生の時に彼女の会社、、レナウンに行ったことがあったけど、、。洋子ちゃんとは宿泊先が近くであったので途中まで遺書に帰宅したが、なんでも京都に10年位前からすんでおりお子さんも独立しているとのこと、人生上手く行っているようで何より。早苗も俺を振って銀行員と一緒になったようで、正解だね。でわ

鶴ヶ島の選挙が終わった、私は「浜よしひろ」候補に投票した。選定理由は自治会活動について加入率アップ、地域基盤強化を選挙公約に上げていたからだが、webで活動履歴をしらべたら、、なんと、、無いのであります。誠に以外な感じをうけ、では現職の市議のHPを少しだけ調べてみたが、しっかり議員活動を!レポート報告をHPでしている方はホントに一握りの方としか認定できなかった。まああ、こんな物?とは思いたくないがこれが、少子高齢化社会の現状と流してしまうことで終わりのしておこうと思う、もう体力がもたないから・・。ついでに記載するが殆どの候補の公約をみるとサービス提供型の選挙公約でしかないのがこれも現状、サービスに票が伴うのは、ものもらいと同じであろう。自治会活動の強化などでは票が得られないから、公約にしない、自治会の退廃、、知らんぷり!、であればそれは、いい加減な議員活動?でも、それは市民の責任なんだろう。きついこと言って、本当の将来とも言える、国の弱体化を見越して、対応を実施する議員活動をさせるのも市民の責任。

朱鞘は何時帯びる?

先日、居合の昇段審査を観戦していたら朱鞘の御仁がおられたことで少し侍の朱色について記載してみようと思う。何時だったか忘れたが博物館による甲冑の展示品で朱備えの甲冑が展示してあり説明文に当時は朱備えの甲冑の製作は殿様の承認が必要であったと記載されていた。このことと関係があるかは判らないが、朱備えの甲冑で有名なのは、「我が真田の朱備えの甲冑」で大阪の陣での戦では散々徳川を苦しめたのは有名である、戦で朱色を帯びれば目立つし負け戦になったとき敵に紛れて逃げることのできず、絶好の鉄砲の的になったことでしょう。鞘を漆で塗るにあたって漆で固めて強度を上げて、なお防水も兼ねることになる、また多層に塗ることのよって複雑な色合いが出て美的に美しくなる、武家にとって、「もののふの美意識」は大切な要素であった、今日の居合刀のウレタン・ペンキ塗装では味わえない感覚である。そのなかで特に珍重されたのが朱色の鞘であったとのことで、朱色は塗り立ての1~2年位は色が沈み時がたってくると朱色らしい色合いに変わってくるのです。それを見るにつけて侍はそれだけ長生きしたと感じ、朱色の鞘をこのみ、我が愛刀の鞘をその時の気分で?差し替えて帯刀してたのことです。

現代においてもホワイトカラーは出勤にあたって、らしい背広をきて出勤しますが、江戸期の侍も登城するときは武家諸法度にて定められた2尺3寸1分の刀に黒鞘・柄糸は黒に定められていたとのことです。当然仕官する時の着装も同じであり、朱鞘では仕官はできなったことであろうと記載されていたのを記憶している。道場内でこのことを話したら下緒は!と突っ込まれたがその点は記載されていなかったが、まあどうでしょう?まあ黒だよね。当時金具は定められていなかったので侍は見栄をはって金ぴかの、金象嵌たっぷりの金具をとりつけていたそうです。そんなこともあって元禄文化では沢山の豪華な金工金具・金工製品が作り出されたとのことでした。今日の町工場の技術力の高さはこの辺から来ているのではと思いますが、さてどうでしょう?。

ここに私の替鞘を紹介します。黒鞘は我が佩刀を製作したときに製作した拵えの黒鞘です。その後鯉口が割れてしまったので濃州堂さんに依頼してサメを巻いていただきました、下緒は白。こずんだ朱鞘に黒っぽい和紙を巻いた変わり鞘は普段使いと大会用です、下緒は黒の赤点入り。一番したの朱鞘は稽古専用です。ちなみに朱系統の鞘の漆塗りは自分で塗りました。職人に依頼したら10万は取られるでしょう、もちろん職人の製作は出来映えはそれなりで良いことこの上ないですが、多少は自分で!できるので自作の朱塗り鞘です。私のように鞘を替えて楽しむのは江戸期の侍によくあったこととのこと、書物(多分!刀剣美術)にも記載してありました?。

居合・抜刀家向けの刀仲介販売

所有の刀を譲渡したいが刀屋さんでは超低価格で売るようになってしまう、道場内で販売でも何かと難しいかも?処分に困った。そんな方に武道家が武道家向けに刀の仲介販売をするサイトを構築しました。

開設したサイトは無流派の試斬だけを行う任意参加の「河越抜刀館」のホームページ内に開設しました(2019年4月)。刀の代金の移動は当事者どうしで行っていただき、お金が動いたのを確認したら仲介者が刀を引渡すものです。譲渡希望の刀は仲介者が一時預かり、写真撮影・刀を解る範囲での表記をしたカタロクの製作と一定の仲介手数料(交通費等の雑費)で2万円を販売時に徴収で進捗させるものです。

そもそも刀屋さんは仕入れる刀は市場で評価が下された物を仕入れるので、ある意味では刀の鑑定などできなくても営業はできるわけです。市場での評価をそのママお客さんに言えばいいわけですから、、。問題?なのは、刀屋の鑑定の知識でお見せに売りにくる、お客さんの刀の買い付けの金額の提示では難しさを伴い(知識が不足?)、数分で評価を言わなくてはならないのでリスクが大きい、そんなわけで安全パイの金額を提示することになりましょう。別に持込客の刀を買えなくても、まったく問題はないのでいくらでも市場から仕入れられるわけですから、、。大体30万円で仕入れた刀は店売りで100万ってとこでしょうか?、、何時売れるか、まったく判らないわけですから当然と言えましょう。たとえば、そんな刀が偽物とあとで判って、30万円で処分したとしても元は取れるし、その処分で売った刀も・・刀をまた30万でしたとって60万円で新たな刀を販売し、元のまた在庫になった刀をまた、原価の30万円で売っても充分儲かり、そして、また買い換えで30万でしたとっても、またさらに、儲かるわけです、そうやって刀をグルグル回して利益を上げるのです。もし所有者が完全に自分の刀を売るとなると二束三文で売ることになります。

仲介サイトを開設するわたしも人の高価な刀をあずかわけですからキチンとした金庫に保管しなくてはならず、少額の手数料ではまったくボランティアと同じですが、困って集まってくる刀の、刀助けになることと、いろんな刀を見れる喜びは決して小さくはないからです。要は刀が「大好き」なのです。「刀剣刀装具うります」のコーナーは、、此処です。

埼玉剣道連盟居合で3段までの審査が本日4月7日行われ無事3名が合格

桜が満開の中県武道館で初段から3段までの審査が行われました。支部からは初段1名・3段2名が受審し無事合格となりました。次回の審査も2名の方が控えておりそれらの方々の指導を入念に行って行きたい。また、ホームページなどを充実し、メニュー(稽古内容・宴会内容?)などを沢山増やして、人それぞれ、いろんな動機があっていいと思うので新規会員の増加を図って行きたい。また、入会した以上いろんな稽古する上での悩み、困り毎など、稽古参加が、空く、すくなく成った場合等もホローアップをしていき活性化に努めたい。川越の西に埼玉県剣道連盟居合道部西入間支部あり、、で認知度をUPしていかねば!、、。