先日、居合の昇段審査を観戦していたら朱鞘の御仁がおられたことで少し侍の朱色について記載してみようと思う。何時だったか忘れたが博物館による甲冑の展示品で朱備えの甲冑が展示してあり説明文に当時は朱備えの甲冑の製作は殿様の承認が必要であったと記載されていた。このことと関係があるかは判らないが、朱備えの甲冑で有名なのは、「我が真田の朱備えの甲冑」で大阪の陣での戦では散々徳川を苦しめたのは有名である、戦で朱色を帯びれば目立つし負け戦になったとき敵に紛れて逃げることのできず、絶好の鉄砲の的になったことでしょう。鞘を漆で塗るにあたって漆で固めて強度を上げて、なお防水も兼ねることになる、また多層に塗ることのよって複雑な色合いが出て美的に美しくなる、武家にとって、「もののふの美意識」は大切な要素であった、今日の居合刀のウレタン・ペンキ塗装では味わえない感覚である。そのなかで特に珍重されたのが朱色の鞘であったとのことで、朱色は塗り立ての1~2年位は色が沈み時がたってくると朱色らしい色合いに変わってくるのです。それを見るにつけて侍はそれだけ長生きしたと感じ、朱色の鞘をこのみ、我が愛刀の鞘をその時の気分で?差し替えて帯刀してたのことです。

現代においてもホワイトカラーは出勤にあたって、らしい背広をきて出勤しますが、江戸期の侍も登城するときは武家諸法度にて定められた2尺3寸1分の刀に黒鞘・柄糸は黒に定められていたとのことです。当然仕官する時の着装も同じであり、朱鞘では仕官はできなったことであろうと記載されていたのを記憶している。道場内でこのことを話したら下緒は!と突っ込まれたがその点は記載されていなかったが、まあどうでしょう?まあ黒だよね。当時金具は定められていなかったので侍は見栄をはって金ぴかの、金象嵌たっぷりの金具をとりつけていたそうです。そんなこともあって元禄文化では沢山の豪華な金工金具・金工製品が作り出されたとのことでした。今日の町工場の技術力の高さはこの辺から来ているのではと思いますが、さてどうでしょう?。

ここに私の替鞘を紹介します。黒鞘は我が佩刀を製作したときに製作した拵えの黒鞘です。その後鯉口が割れてしまったので濃州堂さんに依頼してサメを巻いていただきました、下緒は白。こずんだ朱鞘に黒っぽい和紙を巻いた変わり鞘は普段使いと大会用です、下緒は黒の赤点入り。一番したの朱鞘は稽古専用です。ちなみに朱系統の鞘の漆塗りは自分で塗りました。職人に依頼したら10万は取られるでしょう、もちろん職人の製作は出来映えはそれなりで良いことこの上ないですが、多少は自分で!できるので自作の朱塗り鞘です。私のように鞘を替えて楽しむのは江戸期の侍によくあったこととのこと、書物(多分!刀剣美術)にも記載してありました?。

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