Category: 美術工芸品


日本刀発見届と諸問題・・知人から相談を受けた。親から代々受け継いでいる日本刀、登録証紛失で、今回は短刀について相談を受けた。なんでも警察にもって行こうとしたら登録がない刀は銃刀法違反だと言われたとか、、また、刀剣店に持って行って相談しようとしたら”持ってきてほしくない”・・と言われてしまったとのことで、、結局さび付いた、短い短刀はそのままとになっている、、と相談をうけた。その時は他の方もいたので後日相談にのりなんとか出来ないものかと考えてみましょうと伝えておいた。推測だが結局警察はメンドクサイのであろう。この場合は刑事課などの対応(盗難の有無?)になるのか?なんども発見された場所を確認(いっぱい写真撮る)して、証人にも確認して、、そしてようやく発見届受理となるのや!、、。沢山の書類の製作などがあるから、、メンドクサイのだか?、、。各地域によってバラツキはあるのだろうが、、。まあ素人の言うことだからどの程度まで現実を反映しているのかわかりませんが、警察に縁の無い方々にとっては負担なのでしょう、私なんかいつも行っているので気楽なのですが・・・。また、刀屋さんにしてみればお金にならなくて、、前向きに請け負おうとすると、、素人の理解不足からドラブルになり、、直ぐにネットに書かれてしまい、、消費者センターから電話になったり、、そんなわけで刀屋さんからは敬遠されてしまうのだろうか?、、。結局、なんとか、本人に頑張って頂いて、生活安全課にて発見届を発行してもらって、次に県庁・都庁に行って登録証の発行を日本刀ならしてくれるでしょう(二ヶ月に一回平日で予め時間も決まっている等・・)。諸経費交通費も含めて1万円、、。保存状態が悪く、サビがついていて刀身の損傷が心配であれば研磨を1寸1万円~でしていただいて、白鞘つけて10万円~、、。と言うところでしょうか?。事前に説明して、そんなに出せないのであれば、、苦労して、神経使って協力しても、日本刀の保全にならないので、そろりと交わして終わりでしょう。結局元の鞘に納まって、長い眠りにつき、、いずれ朽ち果てるのでしょう。先祖伝来の刀、キチンと管理して私財を投入にて保存して次の世代に残して欲しいと思う次第であります。

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埼玉県刀剣保存協議会主催の日本刀の鑑賞研究会に参加してきました。場所は埼玉会館、居合仲間のKさんと共に居合で傷めた足の為わざわざ車を出していただいて浦和まで行ってきかした。およそ1時間ちょっとで到着、早々和室とのことで入ると役員会を実施されておりました。その後程なく日刀保からの久保恭子先生がお刀をご持参いただき早々展示にいたる。役員会も終わり14時から会長の挨拶をへて、、鑑賞から入札に至。和室なので後方からも刀を見て姿から時代を捉えることができる。まず、、1号刀遠目の姿から鎌倉摺り上げの太刀で元反りもありそうなのだので初期から中期の体配、、刃文はコズンダおとなしいようにも見える。2号刀は、短刀、、身幅から鎌倉末期から南北朝の互の目乱れの刃文で7寸程度か、、?3号刀も短刀、、身幅あり反りも外反り、重ね薄く、直刃、地金は真っ黒?、、時代は南北朝期の短刀、まああ、備前だろうか?、、4号刀は、新刀にも見える綺麗な地金、、はて?、、でも反りから太刀のやはり摺り上げだろう、、さてどこか?と見るが?、、、5号刀は、摺り上げには見えないので、、新刀の誰か程度?、、、。結局、、1号刀は、、来国俊・・・2号刀は来国次・・・3号刀は、、古青江の短刀・・・4号刀は尻懸則長の太刀・・・5号刀は仙台国包でした。
****今回の反省は4号刀は太刀と当初見ていたのにどうしたか、、刃文ないの芋づるにつられて、、新刀の薩摩に入れてしまったこと、、5号刀の地の柾目を見れなかったことにありましょう。4号・5号は勉強になりました。埼玉県の保存協議会は年会費4000円とのことなので入会の方向でおります。なお埼玉県の第61回名刀展は10月に川越市立博物館にて開催の予定とのことでした。

2018年03月10日、両国刀剣博物館in鑑定研究会参加記録--相変わらず国技館前は相撲ファンで大賑わいだ。さて鑑定刀は5口、、鑑賞刀は、三善長道、虎徹2口、、肥前忠吉、美濃兼定、等でした。マナー講座修了の友人に若輩ながら入札のお手伝いをさせていただいたので余り記録をとれなかったし、、入札を、思考をすることが充分出来なかったのでその中での反省としたい。まず鑑定入札1号刀は、遠目から太刀、古い、、映りあり、古備前か古一文字、帽子小、2尺4寸、摺り上げ、・・手にもって手持ち良い、身幅狭い、刃文小互の目入り乱れ焼幅は狭い、コズムハドリ、で、おとなしい感じ、、よくわからんので、、元重に、、能で返る。大宮盛景でも能、、ここで終わる。正解は三郎國宗でした(刃染み未確認)。2号刀は、精美な打刀と遠目から見え、刀身彫刻がされており、表は櫃に昇竜3尾、裏は三鈷柄付き剣に上が素剣?だったか。ハドリは直刃系に丁子の刃文、、新々刀であり巧みな彫刻から水心子正秀作で当たり(・貞秀合作)でした。今回一番の見所刀です。3号刀は、小振りの太刀?、小丁子刃にやたら帽子が小さいので?、、まああ直刃系で映りが立ち、、まああ兼光?景光?ですが、、覇気がないので失礼ながらよくわからんので、、初代長光にて入札で同然でした。結局、帽子が飛んだ景光とのことでした。説明ではやや欠けたのだそうです。結局、、ローソクが消えたのでしょう。4号刀は豪快な刀で、、南北朝?、、地金は、あれ下原の板目が見える古刀に見える。コズンダおとなしい刃取りながらその中をみると、、砂流しが前面に渡って流れているようにも見える。古風な彫りを見る。剣に梅、帽子は火焔に返る。越前記内彫りの二代康継の刀でした。5号刀は、焼だしは大阪・江戸?よくわからん、濤爛風の大きな互の目、ゆったりとする刃文、虎徹?横手前返るがでも違う、反りがややあり、とりあえず国広に入れてみたら通りで大阪、、国貞で能、、で終わり。やはり津田で近江守助直でした。やっぱ素直に見るの一番のようです。追記)今回の鑑定会で同上の後輩に入札のお手伝いをさせていただいていたらテレビ局の取材をうけました。入札の仕方など実際のやり方と、説明としては伝統文化の伝承をキーワードで説明をえらそうにしてしまいました。多くに方に伝統的文化に関する理解をしていただき、刀は武器だけではくくれない、、日本の宝!であることを。

2018年2月・両国鑑賞鑑定研究会での入札刀。1号刀は無銘青江の刀です、大身の摺り上げ太刀、帽子は鋭利に枯れる清麿風、歯肉たっぷり、焼刃は直刃系で丁子が逆ガリ、地金は精美でるが肌立つ枯れ気味の映り有り、、。重ね厚く手持ちが重くズッシリとする体配、、およそ2尺4寸程度かやや短いかも?、遠目からも南北長期とは思える姿でした。さて冷静に考えると備前か青江になりましょう。備前に入札して、、通りではなくイヤになってしまった為迷走へ、、最初から中期の直次あたりに入れておけば良かったです。さて青江鍛冶の特徴は、、地金は縮緬と木目立った肌と澄がね等の特徴と時代の姿です、鑑定刀は確かに姿は南北朝期の大太刀を摺り上げた体配で、地金は備前ほどの精美ま地金ではないのが解るので自然と青江に行く物です、また刃文も”来”にみれるような直刃系で鑑定の掟で「来に見えてイヤ」であったら、、青江にとも言うので自然と青江に行く入札でありますしよう。でも、備前にいれてイヤであると、、延寿に行くしかないです。参考図添付しておきます。縮緬肌・・シワが寄ったような部分が散見される。

2018年2月・両国鑑賞鑑定研究会での入札刀での2号刀は、一竿子忠綱の刀身彫りのある刀でした。まず遠目から見事な刀身彫りのある刀、2尺5寸程の豪刀に見栄、刀姿は豪快な刀で元先ほぼ劣らぬ体配、、大体・・新々刀期であろうと推察できるが確認で地金をみなくては、、。刃文も腰の開いた丸みの大互の目ですからさらに幕末であろうか?、、。余り思い込むと間違えるので・・ホントウかを確認しなくては、、、。手に持ってズッシリ重い、見事な刃文、、地金は綺麗な木目肌、、表が豪快ま素剣によく肥えた龍が、なんか特徴のあるお顔、、、。裏が2筋樋が上と下に、、間に見事な梵字、、、こう良い刀が***良い刀***であると思う、、見応えのある刀でありました。もう直ぐに、、一竿子忠綱を連想するがどうだろう。***地金は新刀期に変更する、そんなに摘んでいないから、彫りのある刀工は梅忠・国広一門・忠綱・康継・虎徹・忠吉一門でありますが、、やっぱ独特の彫りで、、きまりです。これが新々刀期とみたら、、栗原信秀にするかも?。

 

正月の両国の刀剣博物館での刀剣鑑賞判定会(制作刀工名を当てる)は、刀の製作刀工名の推定判定入札にあたって1本入札であります。5口の刀を刀工名を推定して入札してあてるゲームなのですが、、判者による誘導はないので難度は普段の鑑賞判定会(1口に3回入札)よりかなり高いと言えると思いますが、運良く人位となり銅メダルとなりました。正月早々の幸運な2018年の出だしでした、刀剣美術2月号第733号に刀剣定例鑑賞会の解説が掲示され私の名前が、、掲示されました。これを期にまぐれで当たることなく今後も勉強して行きたいです。

2月10日(土)の両国は刀剣博物館での鑑定会は判者の実力及ばず迷走へ、、結局三振となって惨敗、思い込みが大きいとそうなるとの反省で1本目で国に入って当然とも思える鑑定刀であった,一本目ではずしたから迷走したと思い次に・・・。1号刀は、遠目から南北朝体配、摺り上げか?、直ぐ刃系に丁子か、切っ先枯れ鋭さ感じ、清麿風、歯肉はたっぷり、当然備前を想定し兼光で入札するが、、イヤ、、仕方無く、、違う通りの、、山城で入札でまたしてもイヤ、、今度は九州へ、、当然イヤで三振。結局極めの青江とのこと、、うーん確かに地金が肌立つ気味、詳細の地金が小糠風に見える、地金は備前ではありませんが隣だよね、、。***2号刀は姿と地金から新刀、寛文か、刃文は丸みが連なる互の目でとても鮮やかで、表に剣巻き龍にさらに手の込んだ梅?の堀でかなりダイナミックな龍の彫り物である。裏が素剣が元と先に分かれていて、、間に梵字とても込んだ仕様、彫り物の名士の品物であろう、、この時代の彫りだと虎徹があろうが、刃文が、、国広ではここまでダイナミックな龍は?、、で最大の名手で一竿子忠綱で当たりとなる。***3号刀は、細めの太刀、映り有りの備前か?、小切っ先で互の目丁子が刃に抜けるくらい長い、、最大の見所が焼き落としがある。そこで備前で焼き落としがある刀工では畠田真守で入札するが、、「能」で、うーんあまり動きのない刃中なので古備前?、、結局当たりは、、宗恒とのことでした、古備前でも焼落としがままあるとのこと、伯耆だけでないのだ。そんな名前聞いたことないが解説では作例が少ないとのことでした。***4号刀が超豪快な脇差し、沸えの豪快な大きな乱れ刃、こんな刀とても片手では振れない、、地金は精美なのでそのまんま見て、新々刀、、この時期でこんなとんでもない刀つくるところは薩摩、で、正幸でした。****5号刀は、、短刀、、1尺ちょっっと、、相州焼の大きく乱れる、重ね薄めの南北朝あたりか??、樋もあり、、反り付く、、さて、鑑定は如何に!!!!広光か秋広、、違いがわからんので秋広に入札したが、広光とのこと、、解説では秋広は小振りの刃文となるとの解説でした。****次に鑑賞刀は、石堂各地の違いについて解説があり、大阪石堂の長幸の2尺7寸の尖り刃の刀は典型的な作風とのことでした。紀州石堂は焼だしで、帽子が小丸の返るとのこと。、、江戸石堂と福岡石堂(守次)の小丸に返る帽子と刃文について、、、。でした。講話では、幕末、明治初期まで続いた石堂是一家文書について解説がなされました。

2018年1月13日日本美術刀剣保存協会の博物館にて開催の刀剣鑑定研究会に参加して参りました。正月の鑑定会は1本入札ですから大体この辺では!の入札はできません個名を当てなくはならない。早々に☆1号刀からですがあっと言う間に並んでしまい4人目になってしまった、でも人が見ているのをはるか後方で見ているだけでも鑑定は出来るのです、見て、太刀、時代は鎌倉、、む!反りが元反り、平安末期ですか?、、刃文は小ずんだ沸え本位、盛んに刃中金筋、砂流しが見える、上と下の刃文幅の違いがある、、さすが距離があるので地金は見えず、・・で安綱なんだろう?が・・。手にとって見ると、長い重いで、木目肌たち、地金黒くでここでも安綱ですが刃文を近くでみると違うような気がしてきて、焼落としもあることだし、九州物ではの疑いあり行平、波平だが地金がやっぱ”安綱で入札する。”☆2号刀は、後方から太刀、生ぶか?、映り備前か?、刃文から古備前か?です。手にとって見て一文字を思わせる刃中の動きから古一文字に、でも数の多さは備前ですよね、、どちらでも良い世界なんですが?☆3号刀は、長めの短刀外反りだから鎌倉末期~室町?、綺麗、身幅有り、手に取ってから南北朝の体配と見える、で・・さて誰か?、刃文は逆からないがそんな風にも見えるので景光の流れではあろう?、刃文は直刃にも見える小互の目に丁子が入り尖るおとなしい、さてどうするか兼光(こずむので?)でいいか?、その弟子子か?、ああ帽子ですがローソクにも見えるが、ついでに次の4号刀もローソクに見える。さてどうする??。4号刀は短刀、3号より割と細身で長い、で表に2筋樋、裏棒樋の内反り?の短刀姿で室町でないのかあ?鎌倉?、地金強い!ピッカピッカ、の綺麗な細めの多少のたる直刃、、帽子は前述。やっぱ山城なんだろうなああ?。山城の短刀の名手誰だっけ!刃が細いけど・・。5号刀は、濤瀾刃の助廣です、遠くから見て、終わり。・・・でいいのだろうか?、手に取ってズッシリ思い、焼だしが大阪かああ、はい助廣です、、でも、こんなにゴッツいかな?もっと繊細では、ここから堂々巡りの始まり、地金は良く詰んだ大阪新刀です、いや見える。すばらしい波が大小と連続するような素晴らしい濤瀾刃を焼くが、反りが浅く姿の悪い刀工は誰、、。ついでに思ったがこの刀!抜刀での押し斬りをやったらバンバン斬れるだろうと思った、動乱期の侍が持つ刀なんだろう。****鑑賞刀は九州と伯耆の刀が展示されその違いを検証した。その中で毛利家伝来の安綱には物打ちに刀割れがあり、凄い名刀はこれだけの斬り込みをされても折れないんだ、またこの刀、、映りが激しい棒グラフのようになっていてさすが大名家の伝来を感じた。***さて鑑定刀では、鑑定刀の1号刀は、古伯耆の真景(私の同然表にはない)で真守の門下とのこと。2号刀は古備前行秀・・3号刀は基光・・4号刀は盛光・・5号刀は尾崎助隆でした。確かに言われてみれば応永備前の体配であろうが盛光とは、、誰かが詐欺だと言っていた。結局私が75点、、天位はとれなかったが3位でまああ良かった。久保講師によると1号と2号は、九州物と伯耆物と古備前の地金の違いを知ってほしいとのことでした。なお、4号には私は初代信国にいれたが了戒系なのでもっと沸えが強くなるので注意願いたいとのこと、、まあだね。***以上が正月の鑑定会でした。

 

20180107_112008-012018年1月8日、朝9時に自宅をGLにて出発、、鶴ヶ島インターから関越を快適に東京方面に走る、、日が暖かく道路も空いている中大泉でおりて目白通りを上り、、飯田橋から九段下に出て靖国の前を右折し即左折して神社の脇通りをとおって左折、、鳥居の前を通過して元来た道に出て駐車場に入る、、バイク専用に駐輪、、いつだったか何処かの神社でバイク専用がなく困ったことがあったが30分100円とのこと、、お参りは安産祈願と孫のお守り祈願で共にお守りと、、遊就館での新春刀剣展では刀匠に銅板に孫の名前と梵字をほっていただき併せてお守りとした。刀は素晴らしい刀が展示してあり新春にふさわしいイベントだと思う。

 

 

 

姿・地金・刃文は刀剣鑑定鑑賞の見所であります。特に地金・刃文はその刀工の作風からくるもので特徴があります、、ですから偽物鑑定に至る?のでありましょう。姿はその時代の戦闘方法とブームによって形成されるものと考えています。ですから武道家であれば姿を見抜く技をもっていて当然と思うのですがどうえしょう。参考添付

刀剣鑑賞の歴史 / 本館 14室   2017年12月5日(火) ~ 2018年2月25日(日)東京国立博物館

 
国宝 刀(無銘) 相州正宗(名物 観世正宗) 鎌倉時代・14世紀

わが国では、刀剣を単なる武器ではなく、鑑賞する対象として扱ってきた長い歴史があります。それは、現在に残る記録などからみると600年ほど遡ります。その長い時のなかで行なわれてきた刀剣鑑賞においては、刀工の名が銘に切られた刀剣と、銘はないものの、作風を整理した知識によってその刀工の作とみなすことが盛んに行なわれており、こうしたとき、二口(ふたくち)の刀剣はよく似ています。しかし、実際の鑑賞は、そう単純なものだけではありません。たとえば、歴史的に高い評価を受けてきた刀剣のなかには、銘がないものでも、名が知られている刀工による作品とみなされているものが数多くあります。また、作風が違う刀剣であっても、同じ刀工の作とされているものさえ見受けられます。日本刀には、作風の整理が高度に進められてきた歴史がある一方で、こうした鑑賞の様相があり、刀剣に関する知識や理屈を超越した美しさも大事であることを教えてくれます。 刀剣の鑑賞は、見どころが抽象的で、その特徴を表現することばも、日常生活では使わない用語が多く理解するのが困難です。しかしながら、先人たちは刀剣の美を尊重し、特殊な用語を駆使して理解しようと試みてきました。この特集を通じて、刀剣鑑賞の歴史から紡ぎ出された「理解しがたい、しかし、確実に存在する美」をご覧いただければ幸いです。

東京は港区の根津美術館にて、、光村コレクション、、刀装具、、、が展示されているとのことを、駅の広告でしりました。見にいきたいが、、行ける日があるかなあああ、これでも予定があつて、、なかなかです。

昨日は両国は新刀剣博物館での第一回鑑定研究会に参加してまいりました。まずロケーションは国技館のとなりで抜群に良いです。今後沢山の来館が期待できるでしょう。ただ、地盤が海抜ゼロメートル地帯なので洪水と津波対策をしっかり実施していただき、我が国が世界に誇る鉄の文化である日本刀と武具などの貴重な文化財を保全していただきたい。建物はコングリート打ちっぱなしのローコストタイプ、一階しか行っていませんが内装は白とグレー、茶を基調にしたシンプルな内装でまあ、近代的な普通ですね。懸念事項は日本刀をイメージしたのか曲線を主体にした建物でまあ、近代的ですが、、この建物は車と同じでミニバンではなくツーリングワゴンタイプ、、荷物や人はあまりのれず、また使いにくい!、それでですが、、鑑定会では変形の会場の為、研究会には使い勝手がわるそう、またテーブルがない!置ける?、もう器が出来ているので工夫して使っていかなくてはならい様子!と見ました。また、研究会ですがパワーポイントとプロジェクターを使い鑑定刀の解説を今回から実施するようになりこれはとても良いことだと思う。しかし、これって今更のことで遅れていることでもあり時代の流れに、HPの活用も含めて頑張っていただきたい。当日学芸員の方よりおなじような意味のお話があり、今後協会は開かれた協会へと変身してゆきますと宣言がなされました、今後に期待です。それから客商売でもありますから写真入りの名札を着用するのも世間の常識です。キチンと率先して挨拶の励行は小学生レベルの内容でもあります。笑顔は特にいらないとは思いますが、、どうでしょう?。少子高齢化社会はもう来ており時代は大きく変化(衰退)していきます、伝統文化の保全にむけて新たな試みをして行かなくてはならないのです。

さて関心の鑑定会ですが4号・5号が短刀、、1から3号が太刀、、。今回のコンセプトは直刃の粟田口・来2代それぞれの比較、、その流れの延寿でした。どうも姿を見てしまうと迷ってしまうので基本通り地金と刃文ですね、、。帽子がロウソク、だけでは・・景光はイヤでした等。

また、鑑賞刀は、、素晴らしい水心子正秀の刀・・湾たれ刃と箱乱れの素晴らしい虎徹・・了戒・・・延寿国村でした。次は正月ですね!

 

お祭りでの演武(坂戸市浅羽野公民館文化祭)・・・我が国の伝統文化でもある日本武道、その中での居合について多くの方々に知ってほしいと思います。よく趣味は?と聞かれ、答えでバイク!は誰にでも理解していただける趣味ですが、居合ですと答えて女性にはほとんど理解していただけません。私は説明として時代劇で侍の戦いの場面でのシーンを殺陣(おおかた知っている)といますが、居合はその元、原型ですと答えると大体理解していただけます。やはり多くに方々に剣道は理解しているが居合は?ではよろしくないと思います。今度の日曜日のお祭りで居合の形技と抜刀の技を披露して認知度を上げていき、今後の日本文化武道の普及に、チョッピリ貢献して行きたいと考えています。今日は鍛錬所の裏山にて青竹を切り出してきました。直径4センチ位の細い竹を斬ります。使用刀は、、現代刀の一貫齋刀と戦国末古刀(普段は使いません)を使って斬りますが、450年も前の刀がいまだに現役で活躍している国は日本以外にはありません。多くの国々でも刀はありましたが既に、、ほぼ全く現存しておりません、これ我が国の文化の特色なのですと・・。この点も説明してみたいと思います。

 

同じ道場の友人と我が愛刀の鑑賞会を実施した、お互いの刀を鑑賞し見せ合うのは古来武士たちが行ってきたことであります。当然ながら日本刀には自然性があって同じ刀工の刀でも出来・不出来が発生してくる、また、時代、地域、流派などからも姿・地金・刃文も変わってくる。だから日本刀鑑賞は面白いのであります。刀を振り回すだけでは、**ヤクザ**となんら変わらないのです。侍なら!この刀の特徴を良く把握して、刀をみて遅滞なく大体どの辺の時代の刀で、、どんな流派かを見抜き、、それを侍どうしで語り、、お主、、出来るな!とこれも武道の作法でもありましょう。そんな意味でも武道仲間を愛刀を交えながらの刀談議は愉快そのものでした。もとより刀はその良い点を率直に評価しあってこそ武がたつのでしょう。また、武士の象徴としての刀、500年もの前の刀がごく自然に、当時のまま保存されているのは世界広しといえども、、日本だけなのです。それは武器としてだけでなく、、侍は腰に帯びる物に**美**を求めたのであります、武士道の観点から美しくなければならなかったのです。美術工芸品としての国宝が250点あると記憶しておりますがその半分が日本刀なのです。もちろん武道学ぶ者にとって武器としての刀の特性を見抜かなくてはなりません。武器として使った場合の末古刀の特性など、、これを居合に使うとどうなるか?等・・・。等など、、友人は我が石堂の刀を!

代々木最後の鑑定研究会に参加してきました。いよいよ最後なんですねえ、、お世話になりました。最後と言うことで普段見ない方もおられ、最後だから来たよ!、、とのことで鑑賞に時間がかかり大体1分5本分で合計5分、、2回転くらいで入札で、まあなかなかです。鑑賞刀5口は安綱に始まって鎌倉の各時代の刀が展示されおりました。さて・・鑑定刀。1号刀ははるか後方から見て、、古備前とみて手に取ってみて?うーん違うみたい?2尺8分はあろうウブな刀、ハバキをみて相当の研ぎ減りを確認、相当な反りから古備前とみたがひょとして違う、時代はもうし少し下がるかも?、直刃だし、私の持っている長巻擦り上げの脇差しにそっくりな刃文、、延寿?あああ、、で延寿国村で当たりでした。あんなに反っていて鎌倉末期とは!と思うのだが、刀匠曰く研ぎ減りが大きくある刀は内部応力の関係で反りが大きく変化するとのことでした。鑑定も研ぎ減りも鑑定の要素との勉強になりました。でもこの刀いっぱい減っていても1000万を下ることはないんだろうなああと思った次第。2号刀、、惚れ惚れする豪快な南北朝体配、、これもはるか後方から確信をもつが!手にとってみて???だらけ、大鋒、大きくゆったりと湾たれる相州伝備前の刃、国広一派かな?の写し物かな?で、、越後守國儔で、、時代違いイヤ、、と札が帰ってきたのです。やっぱ、、えー、、南北朝にあんな刃文あるんだ??、帽子の先に小さな、、ローソク発見、、あんなの見えないよ!。そうなんだね、時代がさがると腰の開いた乱れもあるんですねえ、。3号(重い!刃が地味)も4号(手持ちがかなり良い、刃に覇気有り)も南北朝体配、、3号は大宮盛景で4号が師光でした、師光は応永備前ですがこの時代がやや交錯しているとのことで納得の三振でした。5号は姿から末古刀と踏みましたが、、南北朝の手搔とのことで、三振でした。まあ確かに銘はそうなっていても代が続いているので、南北朝と言うが?、でしょう。最近耳がわるくて、学芸員の方の説明が良く聞きとれず、正解銘とポイントをA4の1枚で表記していただけると有り難い、、2次会での反省会の統一した見解です。そろそろ協会も会員のご意見箱を設けて、一層の世間では当たり前のサービスに努めていただきたいものです。なんか!ロビーに置いてあって本、一人でごっそり車にもっていってしまった遠方の方がおりました。アマゾンで売るのかなああ?。

 

2017年5月の刀剣博物館での日本刀鑑定会に参加、鑑賞刀として平安末期から鎌倉初期の刀が展示された。この時代の定番となる生な刀である安綱・古備前は国縄は、乱れの刃地金はややつかれる。古一文字は宗吉では部分映りが鎬を越え他に類を見ない姿。古青江は是友・豊後僧定秀の生中子の太刀ではこの時代でこれだけの精美な地金はすばらしい。さて関心の鑑定刀、札をいれて刀の作者が誰かを想定し当てるゲームのような勉強会(1札で全部当てると100点)ですが今回は簡単に記しておきます。1号刀は粟田口・2号刀は江戸新刀の備前伝・3号は1号刀そっくり短刀の美濃物でした。4号刀は大阪焼きだしの刀、冠落としの特徴的な刀・5号刀はもっとも難解な刀でした。地金は新々刀水心子にも見える、刀身も大振り豪快、刃は直ぐ刃系ではあるが丁子がこずむような、刃縁は締まって、青江直次にいれたがイヤとのこと、正解は九州で手先が器用な刀工集団で江戸期までつづく多様な刀をつくった集団で備前に次ぐ制作数があるとのことでした。やはり大阪新刀の真改、国貞などのバッチっとした刀いいですね、こんな刀を振ってみたいものです。今回の学芸員の方の説明も明快でとてもよかったです。今回の鑑定研究会で高田と言う刀工集団には興味がわきますね!6月が代々木の鑑定会が最後となります、来年からは両国になります楽しみです。帰りに出たところでタクシーの運転手さんから博物館がやっていないことについて聞いてこられたので、引っ越しの旨つたえる、ここの刀剣博物館は世界に此処だけ貴重な存在なのです。例えば今回の鑑賞刀での安綱などは平安末期の刀ですから800年はたってたっていましょう。世界の何処の国にも刀はあったでしょうが800年も前の刀が当時のままに平然と現存する国などは我が国だけです、この世界に誇る鉄の文化を、そんな刀が刀剣博物館にて鑑賞できるので、観光の目玉でもありましょう。

今日は、前日の雨があがり好天の予報、、前日は9時過ぎにねて、夜明けと共に出発のつもりでいたが結局意志がよわく6時11分発車、、愛馬を国道16号へ朝が早いせいか快適に走行するが、、やっぱ寒かった下はメッシュライダーパンツにその下はスポーツスエットにタイツ、、上はライダージャケットエアーベストで中はシャツにデサントスポーツシャツでした、、やっぱ寒かった。気温は10度ないなああ、たぶん、日があるのですくわれているって感じ、GLはまあ救われているほうかもしれない、他のラーダーはまだ完全な冬服でありました。さて相模原の吉野家で朝食、この店店員さんが気の毒でしたああ、電話がかかってきてどうやら、、出勤が8時になるとのことらしいい、一人なので遅れます、、済みませんと謝罪しながら一生懸命製造されていた、、いつかの我が身を思いだした次第、、深夜・早朝勤務はほんと辛いのよ、、これやった人しかわからないよねええ。みなさん遅れても、大体満席?、、文句を言う人はいなかったです、これぞ日本人よ!。さて道志道に入り、、一路山中湖へ、、もう沢山のバイクが上っている次第、20台位の団体の尻についてしまい、、結局道志の道の駅まで、、最後尾を追従、、。やっぱ、前が居ないほうが走り易いねええ、でも道の駅は、朝9時前だと言うのにバイクで満杯でした。また道志道では桜が超満開!!桜道をヒタ走る。9時30分位に山中湖到着、、残念、、富士山が雲隠れ、まあ自然だから、、またの機会に、、山中湖の桜はつぼみ!、。見えないので富士山を一周するのは辞めて、、奥多摩経由での帰りに変更した。山梨の勝沼ブドウ郷畑を通過して(国道137号から411号へ)甲州市塩山山下小田原216-1キグナススタンドの脇のモモの木が満開であったので撮影、早咲きだねええ。とても綺麗でした、、。16時自宅到着、、260キロの中距離ツーリングでした。

 

刀剣美術4月号-723号誌上鑑定刀、毎月楽しみにしているのがきました。いつも真っ先にみるのが誌上鑑定刀です、、、さて今月の出題誰の刀であろうか?、、。今回は瞬間で判ったと思った投稿の作です。はたして当たっているかさらに研究が必要ではありますが、、これも楽しや、、。ここのところ何かと忙しい、、気ぜわしい。道場のいざこざ、、人間って小さいねええとは思いますが、のんびりあせらず楽しく細かいことは気にしないでやって行きたい。さて誰かな、、。

閉館された刀剣博物館での鑑定研究会は、人数がふだんより少ない気がます。さて、60点の鑑定会でしたが、、鑑定刀の1号刀は、脇差し、、1尺5寸程度の重ねの薄い、表裏に彫り物、表には行の倶利伽羅、上部に梵字・裏に剣と上部に梵字。刃は沸えの強い乱れ刃、彫りから長谷部を連想したが、長谷部は草の倶利伽羅かなとも思いなおし、兼光にて当たり。解説では地金刃文は典型的な備前とのことで、彫りについては一切解説がなかった?かな。なにせ高音の声は耳が遠いので、ボツ、。2号刀は、大振りの太刀2尺8寸位か?重い、コロとした重ね、刃文は腰開く互の目、鎬まで大きく派手に乱れる、、地金が大肌まじり荒れるような感じ、応永備前と見て、盛光の太刀でした。重さ、コロ、から鎌倉をはずして室町の太刀とみる方法もあろうと思いました。3号刀は、一見太刀か?長さが2尺4寸とやや長め、、から鎌倉の太刀と思ったが、刃文がやはり腰の開く互の目、、などで末備前に行って、、忠光で同然、、祐定の典型的な刃文とのことでした。かなり重め、、ほんらい片手振りだからもっと軽いを意識して迷うものでした。4号刀は典型的な大阪焼だし、互の目乱れ、沸えが強く、バッチとした刃文、姿は慶長新刀でもなく、寛文新刀でもなく、元先の幅がさほど落ちない身幅あり、、樋がはいって、重ね厚く、、反りがなく、、これぞ武士の佩刀といった刀でありこんな刀を帯びてこそサムライであろう、、良い刀だ。紛れなく国広一門、、さてだれか?学芸員は元先の幅が落ちると寛文新刀体配と言っていたが、元は34㎜、先は26㎜位か?、意見が違いますが、、河内守国助でした。気に入ったのでこの工は代が4代まであるようだが初代で壱千万?重要刀剣指定だから多分はあるかもしれない。丁子がないので多分2代か?。5号刀は、地金黒く、重く、ヤマト風、、から疑問はあったが仕方無く肥前初代忠吉にいれた、、が、通りで帰ってきた、、ああやっぱ薩摩かああ、さてだれにしようかな?、、芋づるがないので、、初期の時代でなく、、江戸中頃かああ、一平安代で当たりでした。一発で薩摩にいかないよ、、綺麗な直刃ではねええ。あと鑑定会は2回、、です。来年は両国に行かなくては、、楽しみですうう。

今日はいつもの代々木刀剣博物館にての鑑定研究会ですが行ってビックリ、展示は終わったとの掲示があるが見たことの無い方が出てくるのでやや?であったがマナー講座の修了者の方のようでした。そう言えば初めてここへ来たのはいつだったか随分お世話になりました。それからロビーで若い方と刀談議(オタク風)してから上にあがって13時開始、、きょうも20代の刀剣女子が5名ほど受付をされていた。待機時間にその内の方に声をかけて聞いてみたがマナー講座から鑑定会にでるとのことなので入札にああたっての同然表もってきたか聞いてみたら、、?の様子、、入札も?、、ああ説明されてないのか?、、まあそんな分けで鑑定会にかんしての余計な談議をお話ししてみた次第、まず鑑定会に来ている人の半数は刀等の刀職者、あとが高価な刀を購求できるコレクターの方、、残りのあまりが私のような武道家等と見るだけの人(お金の無い物)であること説明、鑑定会に出る刀はおおかた壱千万円はする刀であり、それらを見せてくれる、持たせてくれる寛容さが刀剣界にはあることを談議した次第、、刀剣女子が、刀を見る力、、要するに、、良い刀、、悪い?刀を見分ける力をつけるには、、良い刀を沢山みることが寛容など、、と、、。とても敷居が高い世界であり、逃げてしまっている方も多い中、、継続するには良い師匠につくことが大切との思いで話をしたがどの位伝わったか?、、。***さて今日の鑑定会だが、若い学芸員の方の指導のもと運営がかなり、、ユーザーフレンドリー、、フォアザカストマー、、お客様第一主義になってきました、説明も上手でいいのだが、もっと大きな声、継続して出せるように訓練していただきたい、・・はとバスのガイドさん・学校の先生見たいに、、!。鑑定刀には、刀銘短冊と特徴を記したPOPが表示されており、人に優しく、、なりました。ついでに鑑定刀の解説時に、、POPにて作者名や当たりにいたる簡単なフローを表示していただけるとフレンドリー度もさらにアップします。あと武道も刀剣界も、とくに指導者の方々にも言いたいのが人口減少社会ではこれ以上会員は増えない要因がどんどん拡大してゆく、、いままでの協会等の本位の運営でなく、、フレンドリー人に優しい運営にしていかなくてはならない次期なっていると思います。

 

日本刀の製作年紀で○○年二月と良くある、大体二月なのである、または八月です。でもほとんどが二月・・なぜだろうと時折思う、刀匠に聞いたことがあるが「わからない」と言う、、。そんななか刀美3月号(第722号)に福崎福久枝氏投稿の「日本刀なるほど物語5」にて”たたら”について記載があった。これを読んでいて気が付いてたことがあり、そう言えば島根のたたら製鉄でつくられる和鋼、日本刀用の玉鋼は毎年二月に生産されるとのことだった。これで刀匠に聞いた、学芸員に聞いた、刀友に聞いた、刀の判りそうな方に聞いた、、みんなこの次期でないと良い和鋼が出来ないからとのことだった。そうか、、だから日本刀の製作年紀で二月が1番多いのは良い物を造るには二月が1番いいんだ。なんでも空気が乾燥して和鋼の生産には良いのだそうだ、それに、鉄の精錬だから”熱い暑い”から寒い時期がいいんだろうなああ、人間にとってもです。この日本刀用の玉鋼、、1キロ・・1万円、1口の日本刀で刀身重量1キロの刀造るに10キロの玉鋼と同等の松炭を使ったとしての原価はそれなりとなり、これに手作りならではの、鍛錬の自然性が加わった、、ロス率、70%とすると相当なコストとなりましょう。だから楽な次期、、ロス率の少ない次期の年紀、、二月になるのではと、、勝手に思って居る次第です。一度でいいから、「たたら」島根に見に行きたいなああ。